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一所懸命
2017 / 06 / 29 ( Thu ) 18:36:18
一生懸命の語源といわれ、同じ土地にいる者達
が命を懸けてその土地を守ったことから、中世
武士の姿として捉えられています。
現在の一生懸命という言葉は個人として用いる
ことが多いですが、本来は集団として使われる
べき言葉で、一所という言葉を使っていること
がそれを示します。
これは血縁集団あるいは地縁で結びついた人々
が、その土地やそこに根付いた生活を守るため
に一丸となったことです。
一揆にしてもいろいろな一揆があったわけです
が、全てがただ暴徒化したのではなく、為政者
に対して権利を主張し、自立を訴えたものと捉
えた方がより正確でしょう。
これも一所懸命の表れといえます

江戸時代の村落自治もまた一所懸命そのもの
といえます。年貢は個人納入ではなく村請けと
言って村単位で納入していました。為政者から
すれば、零細農民が増えると税収が脅かされる
ため、こうすることが最善策だったと思います
が、これは自立した村の形態であって、納める
ものさえ納めておけば村の自治に介入されずに
済むことになります。
村は庄屋・名主・肝煎の村の長に組頭や百姓
代を含めた村方三役を代表として運営され、
百姓代は監査役でした。まさに自治です。
その下に五人組や十人組があって連帯責任を
組み、誰かが年貢の欠損を出せば連帯で補う
ことになります。
怠ける者がいれば村八分にされるのは当然と
いえますが、村内での互助作用が働きます。
集団には怠け者ではなくても必ず弱者がいる
ものです。

重要なことは、同じベクトルを持って集団が
まとまっていることなのだと思います。
現代では個人主義社会となり、個人それぞれ
が一生懸命になることはまったく否定される
ものではありませんが、結局は人間社会は
集団で営むため、個人主義だけでは避けられ
ないことが多々あります。
一生懸命な個人が集団となっても違うベクトル
で行動していたら、その集団は持っている力を
十分に発揮できないと思います。
むしろ集団がまとまっていれば、全員が一生
懸命に120%も150%も頑張る必要がな
いし、弱者や事情を抱えた人を救えるはずです。
一所懸命な集団こそが今も昔も強く、かつ広
義の安定というものを生むのではないかと思
います。



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人国記・新人国記
2017 / 06 / 24 ( Sat ) 23:48:07

現在の秋田、山形にあたる出羽国の全文で
あまり悪く書かれていない珍しいケースです。

出羽の国の風俗は、奥州に大体替らざるなり。
然れども奥州の風儀よりは律儀なる所ありて、
智も亦上なり。武士は我が主・親へ忠孝の志
あり。
下を使ふの法を沙汰し、下臈は上をうやまふ
心あり。百姓は地頭を頼む心入れありて、他
の村郷の者、我が地頭を誹(そし)るを聞きて
は、則ち勝負を付くるの類にて、寔(まこと)
に頼もしく、しをらしくこれ有るところ多くある
なり。
蓋(けだ)し此の国の者、都(すべ)て吾が国
は遠国・偏土にて、かたくへなき国風なる故、
恥づかしきなどと云ふ風俗なり。
これに因って奥・出州両国の者は、四民とも
に礼厚きなり。本奥・出の両国は、一国を割
り出したる国と云ひ伝へり。

一言でいえば気質が真面目といった印象で
確かに帰属意識は強いようには思います。
陸奥国と違い、色白で目が青いという記述が
ないのも少し疑問ですね。


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人国記・新人国記
2017 / 06 / 22 ( Thu ) 19:31:00
今回は陸奥国です。
また、前回は全文を紹介しましたが、今回は括目
する記述があったので抜粋を紹介します。
陸奥国は現在の福島、宮城、岩手、青森を指す
広大な国です。
ちなみに豊臣秀吉の太閤検地では、陸奥国の
石高が全国1位で2位が近江国(滋賀)です。
えっ と思われるでしょうがこれが真実です。
気候や面積、人気ばかりで歴史を語っていると
こうなります。こういう事実を知ると見方が大
きく変わります。
それはそれとして、
陸奥国はその広さゆえに文化も言葉も風俗も
地域によって違うはずですので、概論すらでき
るのか疑問ですが、それとは別の驚きの記述
を紹介します。

この国の人は日の本の故にや、色白くして眼
の色青きこと多し。人の形像最も賤しうして、
物言ひ卑劣なれども、勇気の正しきこと、日本
に劣るべき国とも思はれざるなり。

色白くは秋田県人でもよく言われますが、目の
色が青い人間が多くいるという記述なのです。
前回も話した通り、江戸時代初期に新人国記
として刊行され、元の本の成立は戦国期以前
と思われる本です。
古代において東北地方の人々が蝦夷と呼ばれ
ていましたが、単純に外国人だったのでは?と
も思えてしまいます。
そもそも日本人自体に渡来人が色濃く関わって
いますので、なぜ東北地方だけ青い目の人間
がいたのか、これは気持ちの悪い話です。
確かに地元能代市でも日本人離れした顔立ち
の友人は数人いますが、さすがに目が青い人
間は一人も知りません。
ならば青森、岩手、宮城、福島には今もそんな
方がいるのでしょうか。

また、この文脈で日の本と日本と使い分けてい
ることも知らない方は違和感があると思います。
注釈では日ののぼる(東)の国とありますが、当
たり障りのない注釈です。
確かに豊臣秀吉も日の本まで平らげるといって
天下統一していますので、当時東北地方は日の
本と呼ばれていたようです。
地元秋田の戦国大名安東氏は日ノ本将軍と称
していた時代もあります。
この辺を語りだすと古代まで遡り、ちょっと危
ういのでここでは避けておきます。
いずれ注釈通りに言えば、東北地方人だから
が白くて目が青いとこの記述は言っています。


※スマホの方用に1行の文字数を減らしています
が読みづらい方にはお詫びいたします。


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人国記・新人国記
2017 / 06 / 20 ( Tue ) 20:00:23

久々に歴史ネタを

相模の国は、風俗豆州に似るといへども、人の
気転変し安き所なり。
栄ゆる人には縁を以て親しみ、今日まで馴れし
人にも、時を得ずして蟄居すると見るときんば
(時勢にあわず、家の中にひきこもっていると
みた場合は)遠ざかり、科なき人にも科を付け
て謗りをなし、非有る人にも、時めく人をば馳
走してこれを褒美し、常に栄花を好み、好味を
求めて酒色を翫(もてあそ)ぶ風儀、十人に八、
九人かくの如くなり。
これに因って主は被官(家臣)に放たれ(追放
され)、被官は主を捨て、今日まで傍輩となりし
人をも明日は主君と仰ぎ、主が被官になり、被
官が主になる風俗なり。
しかも智あって智に迷ひ、義を知って義に迷ふ。
誠に悪を備ふる風俗なり。

※来る者拒まず去る者追わずの気質の根源
なのかもしれませんね。

「人国記・新人国記」(浅野建二校注岩波文庫)
という、簡単に言えば昔の県民性を記した本。
ただし、著者も成立年代も不明で、元々あった
人国記に手を加えて江戸時代初期新人国記と
して刊行されたらしく、元の本は相当古い。
内容の真偽はともかく歴史好きな自分にとって
はとても興味深いので購入した。
ところが、真偽を疑いたくなるほど辛辣な表現・
記述が多いことに驚く。
当時の常識や秩序を知らなければ何が善で何
が悪なのかは判断し難いし、実際に現地に行っ
て見聞したのかどうかもわからない。
あるいは身分のある者、僧などの教養の高い
者が庶民をディスったのかもしれない。
でも、随所随所言い当てているのも事実。
県民性という言葉よりも地域性と言った方が説
得力があると思うが、時代を超えて継承される
地域的な文化や風俗は少なからずある。
生活様式ははるかに便利になっても人間自体
は昔とそんなに変わらないというのがちょっとし
た持論。だからこそいろいろと考えさせられる
本だった。

追記
後半の記述では主と被官という立場上の呼称
が頻発している。武士だけとも言えないが普通
は武士の主従関係で考える。
戦国期の下剋上の風潮を表してるようでもある
が、この相模国ではむしろ戦国大名北条氏の
元一枚岩だった。
滅亡時の最期の局面だけは裏切りこそあった
が、その事だけを指してるわけでもなく、中間層
下層の武士や半農半武の階層を指してるように
もみえるため、一般的に言われている戦国史
だけでは理解が難しい。
こうゆう気質が根底にあったと素直に受け取れ
ば見方がかなり変わってくる。
さらに室町時代、南北朝時代に遡ってその気質
を生んだ原因があったのではないかと思える。
日本特有の権威に対するあり方が生んだ気質で
はないだろうか。
そうであれば、永い争乱の時代は権威争いが発
端だったとしても、権威者だけではなく、それぞ
れの権威を支持する中間層、下層部分の人々
の意識も大きく関わっていて、それは生き抜く
為の術だったとも考えることもできる。
この地域に限定すれば、やはり室町時代の鎌倉
府とその存在に伴って起きた権威争い、争乱が
影響を及ぼしたのかもしれない。


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古代麻雀
2017 / 06 / 10 ( Sat ) 21:04:52
埴輪03

埴輪04

埴輪05

埴輪06


麻雀あるある
しばらくやってねーなぁ



テーマ:写真日記 - ジャンル:写真

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小田原城
2016 / 12 / 13 ( Tue ) 20:28:35

富士山201612090000000
またも晴天
またもカメラ無し

富士山201612090000001
スマホでも良しとしよう

箱根湯本ロマンスカー201612000001
箱根湯本駅にロマンスカー止まってた
もっといい角度で撮りたかったけど走行中だし出張中だし

小田原城20161200001
で 小田原城
走行中期せずして目の前に現れて カシャカシャカシャ
ちょうどいいとこ通った

小田原城20161200002
近年大河ドラマでちょくちょく出てる

初代早雲こと伊勢新九郎は、歴史をちょっとかじった自分からみても
日本史上傑物の一人だと思えます。
とかく、白黒がはっきりしたものや儚く散っていった者の話が美談化
され好まれ、情勢がはっきりしない話や権謀術に長けた腹黒い人物
は敬遠されがちです。自分のまなぐにはそうは映りません。
好き嫌いは別として、やはり徳川家康しかり鎌倉北条氏などは政治
上優秀だったと言わざるを得ないし、毛利元就や北条早雲なども腹
黒いだけではなく、機を捉えて勝負をかけるところやしぶとさ、いくさ
だけでなく日頃からの領地経営や家臣や領民らの人心掌握なども
含めて、総じて高い手腕があったのだと思います。
公家も好きじゃありませんが、日本という国家の基礎を作った彼らは
評価しなければならないと思います。
個人的に好きな(武将というより)人物は、南北朝時代を波乱万丈
に生き抜いた京極高氏こと佐々木導誉です。これは理屈抜きです。
大河ドラマ太平記では陣内孝則が演じた武将で、腹黒くて、ずるく
て、バサラで派手好きで、でも真面目で、文化教養人で、将軍足利
尊氏・義詮から全幅の信頼を受けていました。彼も傑物です。
人としての憧れる人物です。

見方を変えれば歴史や人物はもっとおもしろくなる。と思います。


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真田丸
2016 / 04 / 10 ( Sun ) 22:21:58

いやぁ 今日もおもしろかったな
やっぱ大河は中世に限るっ

真田丸
部下からお土産でもらっちゃった
今回の大河は俺以外でも4人は観てる

とにかく草刈正雄がいい演技 かっこいいし

真田は甲賀衆か? って最近勝手に推測中
佐助も甲賀三雲氏説あるみたいだし
武田信玄家臣の横田高松も甲賀から来たって言ってるみたいだし



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館跡? だな
2016 / 02 / 22 ( Mon ) 22:59:25

秦野赤十字病院からの眺め

秦野立野台1
あの広大な台地って・・・
あれって城跡じゃないすか? って聞いてみたら地元の人は違うって

秦野立野台2
(いやいやいやいや あの形状・・・)

で 帰って調べてみたら地名は立野台  これは館の台の漢字転化です
ところがネットで秦野市にある城館跡調べても出てこない
やふ~の航空写真で見ても館跡にしかみえない

鎌倉御家人波多野氏の居城は寺山ってところにあるようなんですが
これだけ大きな規模の館跡がなんで縄張り調査されていないのか
地方史読んでみないとわからないけど 都市部は開発に埋もれた
史跡がいっぱいあるって聞いたことがあります
特に神奈川にはたくさんあるのではないかと思います

たまに歴史を・・・



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古民家野外博物館⑧
2015 / 12 / 03 ( Thu ) 22:43:19
古民家91
夜の古民家も素敵です

古民家93
壁に位牌を納めるスペースと上の神棚も立派  機能的な造り

古民家81
あったか~

古民家84

古民家88
中から見る風景もまた格別

古民家86
いい~~~

古民家89
ライトアップされた紅葉がさらに美しい

古民家92

これにて趣味の世界は終了
また秋田に戻ります
戻りますといえば 26日の朝から秋田に帰ります



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古民家野外博物館⑦
2015 / 12 / 02 ( Wed ) 11:59:58
古民家69
これまた落ち着いた雰囲気のある集落にきた
こんなところでのんびり暮らしたい

古民家70
山形の菅原家  なかなかの大きさ

古民家71
肝煎(きもいり)は東北・北陸地方の庄屋や名主の別称 秋田も肝煎を使います

古民家72
豪雪地帯だと屋根が特徴的

古民家73
暗い  すぐに雪国を連想してしまう

古民家74
しっとりした感じ でも力強さってゆうか我慢強さみたい雰囲気もある

古民家75
つぎは岩手の工藤家  秋田なかったな奈良家住宅は有名だけど

古民家76
紫波郡だと厨川工藤氏の一族(奥州藤原氏滅亡後に地頭代として配置された鎌倉御家人の名門)かな

古民家77
風格たっぷりの家

古民家78
おおおおお 中はもっとゴージャス
なんかの施設みたい

古民家79
広ーい
奥が暗くて見えづらいけど奥行がある

古民家80
外見と違い中はほんとたっぷり空間
間違いなく豪農の家だな


次で最後  夜間ライトアップされるのでまた佐々木家に戻ります



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古民家野外博物館⑥
2015 / 11 / 30 ( Mon ) 00:52:51
古民家60
おっ 栃の実だって 珍しい

古民家59
す すごいポリフェノールの量   心臓にもいいのかぁ

古民家62
独特の粉の味  香ばしい

古民家94
ほっこりする風景

古民家63

古民家64
まだまだつづく道

古民家66
神奈川の北村家

古民家65
秦野の名主か

古民家67
これまでのに比べると若干小さめ

古民家68





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古民家野外博物館⑤
2015 / 11 / 29 ( Sun ) 11:19:09
古民家34
この建物は古民家を利用したそば屋さん

古民家42
よ 4階建て? すごい 民家がこんな立派な建築物なんて
江戸時代の法度でたばこ吸うなとか家を立派にし過ぎるなとかあったみたいです
法度が出るほどそうゆうことがあったとゆうことです 今もそうですが家を建てるに
は相当の財力が必要です 昔はローンもないし木材は今より高価な資源です

古民家50
次はなにかな~

古民家52
これも北陸
大雪に備えた屋根にしないとね

古民家51
昔の技術で寸分違わず組み立てていくんだもんなあ  設計図なんて作ってたのかな

古民家56
中はやっぱ広い  現代の建築物がどれだけ狭いかわかります

古民家57
のぼらないでと言われても  登りたい

古民家55
ほっこりする・・・

古民家58
ほらデカイでしょ
ほんとすげー




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古民家野外博物館④
2015 / 11 / 26 ( Thu ) 21:33:32
古民家39
これまた大きな家

古民家35
信州佐々木家   THE SASAKI HOUSE (笑)

古民家36
佐久の名主かぁ  ふむふむ

古民家37
軒の干し柿がいいし縁側が気持ちよさそう

古民家38
広いなあ 機織り機もある


次は
古民家46
江向家

古民家41
すごい茅葺きの屋根  秋田では見たことない

古民家43
屋根裏部屋に住みてー  絶対居心地いいはず

古民家44
             あ  低・・

古民家45
こうゆうのも珍しいんじゃないのかな

古民家47
いや~ 中も最高
古民家ってゴージャスだよな

古民家48
囲炉裏の上の吊るしてあるのも見たことない
こんな囲炉裏で日本酒飲んでのんびりしたら気持いいだろうな

古民家49
先人の生活様式とシンプルな技術に感動をおぼえる


まだまだつづく




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古民家野外博物館③
2015 / 11 / 25 ( Wed ) 21:55:20
古民家24
おっ 紅葉だ

古民家25
ラッキーラッキー  今年は見れないと思ってた

古民家28
真っ赤っか

古民家27
何色も重なっていい感じ

古民家29
こっちから見るとシック

古民家30
もみじの形もクッキリしてていい

古民家31

古民家32
美しい・・・  情熱的な赤





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古民家野外博物館②
2015 / 11 / 24 ( Tue ) 23:13:24
古民家12
おおおお 立派な門構え

古民家13
佐地家はたぶん佐治氏と同族なんじゃ

古民家15

古民家14
愛知ならなおさら
元は甲賀衆で織田信長の重臣佐治一成(佐々木氏)が有名

古民家16
この建物もでかいなぁ

次は

古民家18
信州三澤家
中国地方の戦国大名尼子氏(佐々木氏)に属した出雲の有力国人三沢氏も信州出身だったよなぁ
能代国見地区にも数軒三沢家がありルーツが同じかもしれません
ルーツを辿るのはだからおもしろい

古民家17
組頭は上層農民ですが、製薬・売薬業で成功はすごいな
能代でも漆で成功した農家を知っていますし、藤里町でも舟運で成功した豪農もあります

古民家19
広~い土間

古民家20
うわ~~ いいな~~ 住んでみたい
ん? 家紋だ  やっぱ出雲三沢氏と同じ

古民家21
おおおおお 家もでかいし すごい屋根 上から見ると壮観です

古民家22
わかりづらいですが、この水車直径2メートル以上ある

古民家23
     しばらく地蔵に戻ります 


まだまだつづく
趣味の世界に寄り道してます



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古民家野外博物館①
2015 / 11 / 23 ( Mon ) 12:01:27

小田急向ヶ丘遊園から徒歩10分ちょっと
生田緑地内にできた素晴らしい古き良き日本の美を観てきました

古民家01

古民家02
全国各地の古民家を実際に解体して移送し再現したみたいです  凄い川崎市

古民家03
軒の干し柿  風情がある
山梨から1500個運んできて皮むいたんだって 大変な作業 (;゜0゜)

古民家05
入口付近ですでにいい感じ

古民家04
これは実物を再現した模型です
商家は当然として、江戸時代以降の農民層でも庄屋・肝煎・地主を筆頭に村の有力者は豪農とも呼ばれるほど
富裕でした。このような広い立派な屋敷を構え、大きな蔵もありました。一家一族・使用人なども住み込みでいて、
50人近い人間が共に暮らす豪農も秋田にもあります。下級武士よりも明らかに富裕です。これが江戸時代の
農民の実態を表す一例です。小作百姓などの零細農民が苦しかったのは間違いないと思いますが、士農工商
の「農」という言葉で安易に教えられてきた歴史観は明らかに間違いです。
これら有力農民の多くが戦国武士が没落した後に帰農した家だったのです。江戸時代の大開発時代を推進し、
ムラの自立・自治を形成して、日本特有のムラ社会、高いモラルもこうした村の有力者達によって成し得たもの
だと言っていいと思います。これを理解できなければ近代・現代も理解できないと思います。何を得て何を犠牲
にするのかを。

古民家06
外見と違い、中は想像を超えて広い

古民家07
福島の鈴木家かぁ 

古民家09
二階がある ロフト的な屋根裏部屋って居心地良さそう

古民家08
ほんと落ち着く空間です

古民家10

古民家11
現代よりは不便なのはそうでしょうけど、空間の使い方が上手  日本人はすごい


つづく




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野毛大塚古墳 弐
2013 / 11 / 12 ( Tue ) 21:04:25
円墳の上はきれいに整備されちゃっています。

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ほんといいのかな~
でも貴重な体験だな

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なら立ち入り禁止でいいのにね

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方墳部分も上からだとはっきり
意外と円墳と方墳の高低差がかなりある  ほ~ ふむふむ

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今度は、埼玉古墳群に行ってみたいと思います。


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野毛大塚古墳 壱
2013 / 11 / 11 ( Mon ) 23:15:59
多摩川流域に古墳がいっぱいあるって知ってましたか?
いきなりですが、古墳をアップします。
興奮しないように。ぷぷ

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大塚っていう地名はまさに古墳や墳墓がそばにあることを示しています。
塚本(塚元)もそうでしょうね。

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古代関東の豪族の墳墓のようです。
古墳というと奈良(大和王朝)や大阪(河内王朝)が有名ですが、実は日本で最も多いのは
群馬(上野国)です。意外でしょう。
つまり、天皇じゃなくても豪族や地方の首長でもこうしたものを造る力があったということ
でしょう。中央政権がやっと日本本土を統一できたのは鎌倉時代だと思います。これも厳密
には東国武士政権ですが。

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えっ 登れんの???? は、墓でしょ

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円墳がはっきりわかります。

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公園のど真ん中にあって、脇には野球場が・・・。墓でしょ。

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結構立派で大きな前方後円墳ですね~。生で見るのが初めてです。

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実は俺このとき頭が痛くなっています。この日の夜までずっと。
なぜなら・・・上に登っちゃったから・・・・
ま、まさかな

でもついさっき野毛大塚古墳て検索したら、呪いって2番目に出てきて、昔話でそんな
のがあったらしい。

つづく・・・・


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歴史好き
2013 / 04 / 07 ( Sun ) 03:21:22
ちょいちょい歴史ネタを小出しにしてきましたが、10年ほど前から趣味で取り組んでいます。(でも気合は入ってます)
テーマの一つは、ありがちですがルーツです。自分だけでなく身近な人や地元、秋田全体も対象です。やっているうちに広がっちゃって、今では日本史における中世だけでなく、古代も勉強中です。
友人は知ってますが、帰省すると秋田や能代の図書館に通っていた時期もあります。本屋、古本屋で買い漁っていまや本棚がいっぱいになってますが、一部だけお見せします。


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秋田といえば、常に江戸時代、佐竹氏、菅江真澄です。実証歴史学である以上やむを得ませんが、人々のルーツだけでなく日本社会の源流は中世にこそあると考えています。
秋田市以北から能代市・山本郡の戦国大名は檜山城を本拠地とした安東氏です。これを研究・考察せずには秋田は語れないとさえ言っていいと私は思っています。しかし、歴史的な様々な事情があってこれを軽視、いや無視さえして進もうとしている傾向があるのが歴史学の現状です。おかげで戦国時代以前の秋田の歴史はほとんど解明されていません。これは地元の人々のルーツだけでなく、近世初頭に起きた本館一揆にも関わる問題です。
なぜ名字のルーツを追っているのか、日本史だけでなく、宗教や民俗学まで勉強するのかはこうした問題に向き合っているからです。かなり本気です。これで食べていけるなら仕事を辞めていいとさえ思っています。


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故太田實氏は、檜山城主安東氏の実態解明に取り組んだ第一人者です。この著書は貴重な一冊です。素材編とあるように、考察するための数少ない歴史資料を克明に記しています。
ただ・・・、立場上いや考え方も私は反対側にいる人間ですが・・・。

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「あづまかがみ」と読みます。鎌倉時代の一級資料とされています。源頼朝の突然死の前後が欠落しているっていうのはいかがなものでしょうか。鎌倉は今でこそ観光地としても華やかさもありますが、血塗られた歴史で成り立っています。鎌倉時代は陰謀や暗殺が暗躍し、南北朝時代、室町時代以降も常に争乱となっていました。
ゆえに一般的には織田信長のように人気はありませんが、歴史的にはやはり重要な地です。


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秋田は歴史的に特異な地域といえます。特に能代市・山本郡です。古代蝦夷討伐でも秋田市辺りまでは服属しても米代川流域以北は完全に服属していません。たびたび大和朝廷と争います。同じく服属していない岩手県は、アテルイ、安倍貞任(あべのさだとう)、奥州藤原氏と強い勢力がたびたび歴史上に名を残しますが、秋田ではそういうのがありません。
鎌倉時代以降も、鎌倉幕府の御家人らが数多く地頭として東北地方に入ってきますが、絶対的に資料が少ないために判明していないことが多いのです。鹿角地方では、安保氏・成田氏・奈良氏・秋元氏が鎌倉御家人としてこの地域の有力者になりました。比内地方では、甲斐源氏浅利氏が地頭として入部、戦国時代まで存続しました。これらは秋田県北の名字のルーツといえます。
能代・山本郡地方は、15世紀中期になるまで欠史と言っていいほど全くわかっていません。男鹿地方は、鎌倉時代初期に橘氏がいましたがほどなく移住、その後は戦国期まで判然とせず、安東氏や三浦氏が戦国期に登場します。五城目町や八郎潟町も三浦氏が支配したようですが、入部したのが室町時代のようです。秋田市周辺では、やはり鎌倉時代が判然とせず、戦国期には湊安東氏、永井氏(大江氏)、畠山氏、三浦氏(八柳氏、川尻氏)らが割拠します。仙北地方では、小野寺氏が地頭として入部し、これも戦国大名として戦国時代まで存続しましたが、徳川家康に改易されます。角館の戸沢氏は戦国大名ですが、岩手雫石から移ってきたようです。由利・本荘地方もまたはっきりしていませんが、甲斐源氏小笠原氏一族(大井氏)が中核を為した地域で、中小の土豪・地侍が割拠した地域でした。
南北朝時代になるとその不透明感がさらに増します。これは全国的にそうですから秋田ではなおさらで安東氏の存在、南朝勢力(後醍醐天皇の子孫やそれを支持する貴族・武士ら)の存在が大きな原因と考えられます。この両者に関しては本当に資料が残っていませんし、歴史学では「無視」の対象とさえされています。
さらに金銀などの鉱山資源や馬の産地があったこと、日本海交易の拠点だったことで湊町を中心に商人文化が栄えたこと、修験者が多く来往する密教が盛んな地域だったことや一向宗門徒が多く逃れて来ていたことなども秋田の形成に大きく影響を及ぼしたと考えられます。資料は少ないですが研究のしがいがあり、歴史的なポテンシャルを秘めた地域だと思います。


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私の両親は共に常盤の出ですが、父方の祖母も母方の祖母も藤里町の出で、藤里町にも強く興味を持って調べています。

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貴重なものです。能代市・山本郡の各市町村史はボリュームがあってすべては読みきれませんが、歴史関係は一通り目を通しています。

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この書物は実に貴重なもので、3冊5万円で入手しました。

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家系調査は事実上不可能ですが、名字のルーツやゆかりは知ることができますし、答えれますよ。
ちょいちょい紹介していくかもしれません。写真が切れたら(笑)。歴史ブログになったりして。

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